母が気づかせてくれた、人生後半戦を充実させるための大事な作業

こんにちは^^ 木村です。

 

今回は、母との思い出を振り返りながら、

アラフォーに始まる中年期の過ごし方が、人生後半戦の質に関わってくる

ということについて書いてみました。

 

 

痛みと向き合うことができなかった母の思い出

 

わたしの母は、強い人ではありませんでした。

むしろ、とても神経の細かい、過敏な人だったと思います。

 

 

忘れもしない、あれはわたしが幼稚園児だった時のこと…

ある日曜日の午後、わたしは腹痛を起こして病院に連れて行かれました。

 

救急当番医の診断は、「盲腸です。すぐに入院してください!」

それを聞いてショックを受けた母は、わたしの目の前で倒れてしまったのです。

 

幼いわたしにとって、この時の母の脆さは衝撃的でした。

「わたしはこの人に守ってもらえない!」

と強烈に悟った瞬間だったように思います。

 

結局、腹痛は入院すると同時におさまってしまい、

何の処置もなく、翌日帰宅しました。

要するに子供にありがちな、ストレス性のお腹の痛みだったのでしょう…

 

 

子供時代のわたしは、重症の喘息持ちでもありました。

母は治療法を求めて、

減感作療法、漢方、マッサージ、その他小児喘息で有名な医者を探しては、

わたしをあちこちに連れて行ったのですが

注射の痛み、薬の副作用で気分が悪くなる、苦くてまずい漢方薬、されたくもないマッサージ…

すべては、体にも心にも、苦痛でしかありませんでした。

 

 

喘息の原因については、諸説あることと思いますが、

心身症(こころが原因で起こるからだの症状)の一つであり、

母子関係が原因となって起こる病気、とも言われています。

 

心理学者のチャック・スペザーノ博士は、

“喘息”という意味の英単語、“asthma”「アズマ」は、

”as ma “ ( “お母さんとして”の意味 ) と重なるのだと解説しています。

 

どういうことかというと、

喘息は、

「母親のために生きているのだから、自分自身の人生を生きることができない」と喘いでいる状態

感情的に母親を背負おうとして、甘えたい気持ちを抑圧している状態

自分の目的を生きるなどとは考えることもできず、犠牲になっている状態

なのだそうです。

 

 

母はそれに気づいていたのかいないのか…

『母源病』という、精神科医が書いたベストセラー本を読んでいた母。

彼女自身が母親(わたしにとっての祖母)との関係で深く傷ついていたので

わたしの喘息の根源は、母自身の苦しみにある、

ということをなんとなく感じていたのかもしれません。

 

でも、結局母は、わたしの喘息の治療を、

母自身や娘の心と向き合う作業にではなく、

外側の、医療や薬に求め続けました…

 

 

わたしは長い間、

母の愛憎入り混じった複雑かつ不安定な態度に混乱し、振り回されながらも、

彼女を気遣い、愛を期待し、

怒りと悲しみ、そして反発心を抱いてきました。

 

わたしが心の底から欲しかったものは、

守られている感覚。

安心感。

 

でもそれは、母自身が持っていなかったもの。

だから、与えようがなかったんですね。

母自身、母親に甘えることが許されなかった。

だから、母も、わたしが甘えることを許せなかったのでしょう。

 

体の不自由な祖母と言い争いをしつつも、彼女の家の窓を一心に拭いていた母の姿は、

母親に認められたくて一生懸命な少女そのもの。

その痛々しさが、今も強く心に焼き付いています。

 

 

母は、自分を苛んでいた痛みを直視するには、

繊細過ぎたのかもしれないし

苦しみがあまりにも大きすぎたのかもしれません。

 

彼女は、40代の終わりに幻聴や幻覚などを訴え始め、統合失調症を発症し、いまに至ります。

もはや母と心を通わせることは、不可能になってしまったのです…

 

 

手放すこと、受け入れることによって得た気づき

 

わたしが長年にわたって母との間に抱えてきた苦しさや怒り、寂しさ、悲しみから

自分を解放することができたのは、

母が変わったからではありません。

 

それは、自分を新しく作り変える作業を行ない続けた結果なのです。

母に対する期待や怒りを手放し、

母がわたしに安心感を与えられなかったわけを理解し、

母のもとに生まれてきた宿命を受け入れる…

 

母の人生の“やむを得なさ”、

その母のもとに生まれた自分の人生の“やむを得なさ”

そして、精神疾患を発症した彼女に回復の見込みがないという、どうしようもない現実。

 

これらの現実を受け入れた時、

不思議なことに

わたしが長い間求めてきた安心感、

自分に対する信頼が生まれたのです。

 

長い間母や外側に求め続けてきたものは、

実は、自分の内側にあって、

これまでずっとわたしを支え続けてきてくれたし、

これからも変わらずにわたしを支え導いてくれるのだ、

ということを悟ったのです。

 

 

母が気づかせてくれた、 人生後半戦を充実させるための大事な作業

 

中年期と呼ばれる40代、50代は

体の衰えを感じると同時に、

”人生の時間は無限ではない”、と自覚しはじめる時期。

 

「これまで」の人生を見直して、

「これから」、つまり、人生の後半戦を新しく創って行くための

重要なターニングポイントだと思います。

 

「これまで」は、「社会に適応し、その枠の中で生きて行くこと」が最優先の課題でした。

ですが

人生が有限であることを実感し始める中年期以降は

「いかにして、後悔なく有終の美を飾れるか」

言い換えれば、

「役割ではない”本来の自分”を生きる」

ということが大きなテーマになってきます。

ですから

どうしても「これまで」に培ってきた視点を書き換えていく作業が必要になってくるのです。

 

視点を新しく書き換えて行く作業は

親や社会から受け継いた古い価値観や、思い込み、

抑圧してきた感情、苛まれてきた痛みと向き合って、

それらを手放し、自分を新しく作り変えていく作業。

同時に

家族や社会に“適応”する過程で切り離したり、諦めたり、抑え込んでしまった、

心の奥深くにある愛や創造性と再びつながるための作業でもあります。

 

この作業は、当然一朝一夕になされるわけではなく、時間がかかるものですし、

向き合う勇気、逃げない覚悟など、精神的な強さも必要になってきます。

 

ですが、この作業を行うか行わないかで

人生後半戦の質が、大きく変わってくるんですね。

 

この過程を経ないまま40代、50代を過ごしてしまうと、

人生後半戦は、

老いとその先にある死への不安に苛まれながら、

じわじわと坂を下って行くだけのものになってしまうのかもしれません。

 

 

今、わたしは中年期の真っ只中にいるわけで…

母が自らの人生をもってわたしに気づかせてくれたことを、

たくさんの人に共有して行くことが、これからのわたしの使命

そんな思いを深くしているところです。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください