お金と愛

こんにちは^^ 木村です。

 

今回は、私たちが生きて行く上で欠かせない二つのもの

お金と愛について考えてみました。

 

日々暮らして行くために、どうしたってお金は必要。

 

十分なお金を得ることが出来れば

物質的な豊かさや

自立や自由なんかも保障されますよね。

 

仕事の対価として相応しいお金を得ることは

自尊心や承認欲求を満たすことでもあったり

 

だけど、

お金で全てが解決し、満たされるかといえば

そんなことは全くなくて…

 

無償の愛情を与える、受け取るとか

信頼し合ってありのままの心で交流するとか

そんな霊的な喜びは

目に見えるものではないし

対価を支払われるものでもないので

なおざりにされてしまうことが多いように思います。

 

でも

この見えないやりとりによる喜びの方が

人が幸せに生きていくには

お金よりもずっとずっと大切であったりするんですね。

 

 

昭和世代の価値観と、見過ごされてしまった“心”

 

私たち40代、50代の親世代は、

昭和の戦中戦後に生まれ

子ども時代は生きのびるのに、衣食住を満たすのに精一杯

そんな時代背景もあって

お金やモノ、経済的な安定や豊かさに大きな価値を置いているように思います。

 

食べていくこと

住む家を持つこと

それから

電化製品を揃えて

車を持ち

海外旅行をし

物質的に豊かになって行くこと

そしてそのためには、とにかくいい学校に入り、いい会社に就職すること

 

社会全体が経済的な安定や物質的な豊かさをひたすら追い求めた時代

そんな時代に育った私たち40代、50代には

物質的な恩恵を受ける一方で

心の内に虚しさや苦しさ、孤独感を抱えながら生きている人がたくさんいる

と感じます。

 

時代が物質的豊かさを追い求める中で

目に見えないもの

心が置き去りにされて来てしまった結果なのかもしれません。

 

 

わたしの母は、重い精神疾患を抱えており、

わたしが会いに行くことも電話で話すことも拒絶します。

妄想の世界に閉じこもってしまった彼女が、

月に一度、孫に送ってくる小包。

その中身は、難関大学向けの学習参考書や赤本、ノートや文房具などの学用品…

母の中の時間は、

いい学校、いい会社に入り、たくさんお金を稼いで経済的に豊かになること

そんな昭和の価値観にとらわれたままで止まってしまっているんですね…

 

 

 お金を稼げること=自分の価値だと思うと苦しい

 

お金って、

経済的な豊かさに結びつくだけでなく

自由を保障するものだったり

承認欲求を満たしてくれるものだったり

自尊心を高めてくれるものだったり

するわけです。

だから

当然女性だって

十分なお金を稼いで、自立できるようになりたい

と思うようになるわけですよね。

 

でもそれが

自分にとって支配的な価値観になってしまうと

苦しくなることもあるのです。

 

たとえば

結婚して、子どもが生まれた

子どもが小さいうちは子育てに専念したい

愛情をいっぱいかけて育てたい

そういう思いがあったとしても

どこかで稼いでいないことに鬱屈を感じてしまう

 

子どもがある程度大きくなったら、働き始める

でも職歴がなく資格もなければ、収入は限られてくる

十分に稼ぐ能力のない自分に、劣等感を持つことになる

 

わたしはずっとこんな苦しさを抱えていました。

これ、お金を稼げること=自分の価値

だと思い込むことから生まれる苦しさなんですよね…

 

 

 内なる母性愛に自信を持って、人に貢献していく

 

 わたしの中では、長いこと

“お金を稼げるようになること” と、“母性愛”が、

葛藤していたように思います。

 

社会に出て働いて十分なお金を得ること

経済的に自立して自由を得ること

家計にも十分貢献して夫と平等なパートナーシップを築くこと

そんな欲求を抱える一方で、

 

仕事一辺倒で、ほとんど子どもと関わることのなかった父親

ひとりで家庭を切り盛りする、情緒の不安定な母親

仲の悪い両親の下で、いつも緊張していた自分の子供時代の経験から

子供たちには絶対に同じ思いはさせたくない

安心を感じるあたたかな家庭を築きたい

という気持ちも強かったのです。

 

だから稼げるようになることへの欲求とともに

 

稼ぐことで、子どもたちとの時間を犠牲にしてもいいの?

子どもたちのために時間と手間をかけることに価値はないの?

子どもたちが幸せで自信を持って生きていけるように愛情を込めて育てることって

お金に換えられないくらい大切なことなんじゃないの?

 

こんな思いが、長い間、わたしの中でぐるぐるとめぐり続けていたのです。

でも、時間が、わたしの内なる葛藤を解決してくれました。

 

息子が、

未来への期待と確信を胸に、たくさんの友だちに見送られて

家を離れ留学先へと旅立って行った今

彼が、

迷い葛藤しながらも

子どもたちに対する愛だけは忘れなかった母としてのわたしのこれまでを

全肯定してくれた

と感じています。

 

 

仮に社会がお金を中心に動いていて、稼ぐ力に人としての価値を見出すのだとしても

これからは

愛を軸に生きることに自信を持って生きていこう

 

愛は物質によって直に対価を支払われるものではないかもしれない

だけど

沢山お金を稼ぐことで自らの価値を証明したり

社会に認めてもらおうとするよりも

母性愛=与える愛によって、社会に貢献して行きたい

 

そんなことを確信するようになりました。

 

 

だから

長い間家族や子どもに献身して来たのに

子どもが巣立った後に空っぽになってしまい

「自分にはもう何もやることがない

お金を稼げない自分にはなんの価値もない」

なんて自分のこれまでを否定してしまっているお母さんは

家族や子どもに注いできた愛情に自信を持って欲しい。

 

たとえ彼らに面と向かって感謝されなくても

自分で自分の内なる母性愛に価値を与えてあげて

その無償の愛に自信を持つことが大事なんです。

 

それができれば

たとえ子どもが手を離れて行っても

長い時間をかけて培ってきた内なる母性愛によって

これからは、人に、社会に貢献していこう

きっとそんな希望が芽生えてくる

 

と、思うのです。

 

 

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