やわらかな心がもたらす幸せ

こんにちは^^木村です。

 

今回はある出会いが深く心に刻まれたことをきっかけに、

心のやわらかさがもたらす幸せについて書いてみました。

 

 

やわらかな心と心が出会う時

 

先日、ロケーションコーディネイターという珍しいお仕事をしている、

アラフォーのパパさんと親しく話をする機会に恵まれました。

 

子ども5人の大家族を大切にしている彼。

これまでは電話で事務的な話を交わすくらいの間柄だったのですが、

今回縁あって一緒に過ごす時間があり、“子育て”という共通言語で話が弾みました。

 

長男が小学生だった頃、うまく学校に適応できずに苦しんでいたこと

それを、父である自分は十分に理解してやれなかったこと

息子の心の内を慮って、時折目を潤ませながら語る彼の感受性の豊かさや、

なんの衒いもなく、素直な気持ちを吐露する心のやわらかさに、

強く胸を打たれました。

 

話すうちに、お互いの実家が同じ県にあることがわかり、

さらに親や親族が心の問題で苦しんでいることまで共通していて、

ひとしきり、互いに抱えているものをシェアし合ったのでした。

 

話を聞いてくれる人がいること

気持ちをわかってくれる人がいること

互いに「心が通じ合った」と感じること

ハートがじんわりとあたたかさで満たされるひととき

 

これは、わたしにとって、

きっと、誰にとっても、

何ものにも代え難い、無上の喜びを感じる瞬間だと思うのです。

 

 

やわらかな心を持つには?

 

人には、それぞれ独自の境遇がありますよね。

両親とか、育った土地とか環境とか、

持って生まれた性質とか、姿形とか。

 

自分ではどうしようもない部分、つまり運命と呼べるものが、

一人ひとりの人生のフレームを形作っているわけです。

 

自分の生まれ育った境遇には、辛い出来事が多かった

過去を振り返れば、傷だらけ

人が普通にできていることが出来ないのは

人が持っているものを持っていないのは

境遇に恵まれなかったから、運がなかったから

 

こんなはずじゃない…

自らの境遇や過去にコンプレックスを抱えたまま

自分と自分の運命を許容できずにいると、

仮面や鎧で心をガチガチに防御してしまうので

どうしても

出来ない、持っていない、理想とはかけ離れたありのままの弱い自分を、

表に出せなくなります。

自分自身が見たくもない、認めたくもない姿を人前にさらすなんて、

苦痛極まりないことですよね。

 

この抑圧がひどいと、

理屈とか一般論、

要するに思考でしか人と関われなくなって

(“理論武装”なんて言葉もありますね)

やわらかな心と心の響き合い、

ありのままの気持ちの交流は、望めなくなります。

 

でも

認めたくない境遇

見たくない過去

持っていない自分

出来ない自分

弱い自分

理想とは程遠いダメな自分

つまり、

ありのままの自分と

そんな自分を作り上げてきたどうしようもない境遇

を受け入れて

これがわたしなんだ!!

これがわたしの人生なんだよ!!!

と、自分の運命を認めて開き直ってしまうと

鎧が壊れ、

ハートが開いて、

ありのままの自分をすっぽり包み込む愛が生まれます。

 

ここに至るまでの過程には

自分を守ってきた武装を解いて素裸になる勇気と

自分と自分の境遇を客観視する作業が必要になってきます。

そして

絶望とあきらめ

時間と涙が避けられません。

 

この鎧を外してありのままを肯定していく過程に

ただ話を聞いて、

嘘偽りのない気持ちを理解し受け入れてくれる、心のやわらかな人がいるならば

それは本当に強力なサポートになります。

 

この過程をくぐり抜けてハートが開くと、

 

生きることってこんなにもラクでいいんだ

もう“幸せの青い鳥”を探さなくてもいいんだ

 

そんな安堵が生まれます。

頑なだった心はゆるみ

ありのままの自分への愛おしさも感じられるようになり

人それぞれが持つ個性も受け入れられるようになって

そこからやわらかな心と心の交流が生まれるようになります。

 

 

やわらかな心がもたらす幸せ

 

ハートが開いて

ありのままの自分を認められるようになると

自分の運命への信頼も生まれます。

 

それまでは、

上手くいかない出来事をすぐにでも解決したい

心に生じたモヤモヤを早く追っ払ってしまいたい

そんな焦りや不安に飲み込まれていたのが、

時間の流れに委ねられるようになっていきます。

 

ひとりでやきもきして頑張っても、運命の流れだからどうしようもない

まあ、こんな時もあるよね

なるようになっていくから大丈夫、と。

 

人にはそれぞれの運命、

それぞれのプロセスがあって

その流れの中で、新たな人と出会い、

心の交流を持ったり

新たな気づきを得たりしながら生きていく

 

その流れを信頼できるようになるのです。

 

だからと言って、ただ流されて生きるのとも違うのです。

わたしにも、目標と言えるものはあります。

でもその目標だって、運命の一部。

天から与えられたもの。

運命が“これをやって”、と持ってきたことは、やるしかない。

運命が与えたものをただ一生懸命にやる。

その過程で、運命は

会うべき人に出会わせてくれて

行くべき所へ連れて行ってくれる。

そこで

やわらかな心と心が出会って、触れ合い、響きあう。

 

運命によって与えられた出会いや、

そこから生まれる心の響き合いに

感謝し幸せを感じながら生きて行くのが、人生

 

最近はそんなことを感じているのです。

 

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